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誕生1996〜97

 今見つかっている在庫の中で最古の鷹爪のhtmlであるが、鷹爪発足から既に約1年半経過した98年のものである。デザインとしては96年11月5日のスタート当初のタイプで、その間にも何度かマイナーチェンジはしているが、外観は大きくは変わっていない。残念ながら
発足当時のhtmlは行方不明である。
 鷹爪の創立記念日は11月5日であるが、実は正確な発足のタイミングははっきりしていない。10月の読者の投稿記録があったため、記念日より前であるのは間違いないようだ。
 サイトトップにはホークスの改革を訴えた「5箇条」がある。かつて”ホークス強化策7箇条を西○本スポーツに投稿したはずが、当たり障りのない部分だけ抜き取られ応援メッセージに改竄された”という局長の経験がここに生きている。またその下に説明書きがあり、このhtmlではすでに過去形になっているが、97年までは「20年連続Bクラスという空前絶後の大記録を打ち立てそうな」という文章だった。また「生卵投げるなんて〜」の文章は歴史的名前振りとして語り継がれている(もちろん生卵爆弾を肯定しているわけではない)。発足当時の鷹爪には南海ファンは一人もいなかったが、森とそして森と並ぶ名将として杉浦を監督にと訴え続けていた。


 「皆さんからの伝言板」
 当初の伝言板はメールで意見を募集し、htmlで返事と同時にアップする「メール公開型」であった。96年末に伝言板にメールを出し、それがきっかけで局長に客員スタッフとして招かれたのがデビ狂だった。デビ狂が正式なスタッフになったのは鷹爪発足から一年後である。この画像の伝言板はcgi式になった直後のものと思われる。cgi式の開発は、「読者同士の戦闘を無くしたい」というデビ狂の強い希望から局長が発案、編集長が制作したもので、その後2008年まで第一線で使用されることになる。導入以後、読者同士の勝手な戦闘がピタリなくなっただけでなく、様々な意見の持ち主があらわれ活発且つ建設的な意見交換が行われるようになった。当時ダイエーホークスの公式ページの掲示板で進歩的改革論者を多数決で弾圧するという恐ろしい事件が多発していたが、最もホークスの体制に批判的だった鷹爪が平和的に保守派まで受け入れていたのは対照的であった。伝言板はそれほど超画期的なこのプログラムで、今なおこれを超えるシステムはないとスタッフは自負している。

 「誰か止めてくれ」
 メインスタッフの雑談を公開するというコーナー。後に革命の七賢を加え、1200km通信へと発展していった。ちなみに1200km通信は現在もオープンにはされていないがプログラムは生きており、10年もの間デビ狂が毎年一回だけ保守点検の投稿をしている。

 「鷹の爪カルトクイズ解答編」
 鷹爪が初めて作ったクイズコンテンツで、解答編は局長とデビ狂の初の合作。回答の凄さに二人して笑い転げたり感心したり大変盛り上がったものだった。未完。

 「プロ野球応援歌学会」
 革命の七賢として97年末に客員スタッフとなった横浜Oが企画。局長も応援歌研究コーナーを設けようと考えていたこともあり、相思相愛のコンテンツだった。以後爆発的な人気を得、正真正銘の学会として成長、現在に至る。

 「今日のシャースポ」
 世にも珍しい編集長の企画コンテンツ。「スタッフの中で昨年最もホークス戦をたしなんだ男のトピックスコーナー」とあるように、言うほどのホークスファンでもないのに鷹爪の運営のためにホークス戦を一番見ていた。中身のhtmlがサーバに残っておらず、もう見ることはできない。

 「DAVID狂」
 96年末、伝言板に一投稿者として投稿したデビ狂を局長が「南海のこと何か書いて下さい」とスカウトして始まったコンテンツ。貴重な南海情報コーナーとして人気を博した。

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